湯治の時代

昔の温泉ってのは、病気治しの湯治場でしたよ。今みたいに観光で行くんじゃなくて、ほんとに病気を治すために行ってたんです。時代によってちょっと違いはあれど、だいたい決まった期間と作法があったみたいですね。

中世の頃には、最低でも21日間は湯治しろってことになってて、これが一番短い期間だったそうです。ただ単に温泉に入るだけじゃなくて、湯治に関する細かいルールみたいなのがあったんでしょう。

天皇や貴族の人たちは、温泉に行幸して湯治することが多かったみたいです。『日本書紀』にも、天皇が温泉に出かけて長期間滞在したっていう記述が何回も出てきますからね。戦国時代の大名も、合戦で傷ついた武士を温泉で療養させてたらしいです。

庶民にも広まる湯治文化

江戸時代になると、庶民の人たちの間にも温泉が広まってきました。病気を治すための湯治もありましたが、単に気分転換で行く人もいたみたいですね。温泉案内の本や絵図が出版されるようになったのも、庶民に温泉が広まるきっかけになったんじゃないかと思います。

箱根なんかでは、七湯巡りが人気だったらしいです。七つの温泉を一度に巡るっていうのが流行ってたみたいですよ。江戸っ子が気軽に行けるところだったからでしょうか。

温泉地では、見世物小屋や土産物屋さんもあったりして、だんだん商業的になってきてました。医者や学者たちも、温泉の効能や入浴法について研究し始めるようになりました。庶民の人たちにとっても、温泉は生活に身近なものになってきたんでしょうね。

保養から観光へ

明治時代に入ると、温泉は行政の管理下に置かれるようになりました。当初は湯治の効能を認めてた政府も、しばらくするとただの保養地として温泉を活用する方向に切り替えていったんですよ。

交通網が整備されたり、メディアが発達したりするにつれて、人々は温泉に便利さや楽しさを求めるようになってきました。温泉地も観光地化する流れに乗っかざるを得なくなってきたわけです。

かつては湯治場として存在してた温泉も、だんだん保養や観光が目的になっていったんですね。今でこそ日常から離れてリラックスするために温泉に行く人が多いですが、昔は病気治しが本来の目的だったんですからね。時代とともに温泉の役割が変わってきたと言えますね。